obntyの日記

大日方祐介 / Yusuke Obinata

ある大学生の、フィリピンでの半年。

2012年の7月も終わろうとしていて、僕がフィリピン・セブ島に来てから半年が過ぎました。

これまでのこと、それに伴う思考の移り変わり、などをまとめて整理しておこうと思って久しぶりにブログ書いてます。

完全に個人的な振り返りなので、無駄に長いのですが、興味のある方だけどうぞ。

 

2012年1月16日〜4月4日:語学学校「精神と時の部屋

この約2ヶ月半の期間は韓国資本の英語語学学校にいました。

僕が最初に到着した時は、生徒数150人以上に対して日本人学生3人という構成。

一人旅で行き慣れた東南アジアだったので、海外留学とはいっても周りの多くの韓国人生徒のような浮かれた気持ちはあまり起きませんでした。そもそも学校自体、平日は外出禁止、毎朝6時に起床し、8時から始まる授業が17時に終わると、24時ごろまで自習し(毎食韓国料理を食べ)、寝るという生活。とにかく”安い”と評判のフィリピン留学とはいえ、決して安価ではない費用と自分の時間を無駄にはしたくなかった自分にとっては、ありがたい環境でした。

平日は「英語」の学習だけにとことん貪欲になって、それ以外に使うエネルギーをとことん減らそうと、(個人的なメッセージを除いて)FacebookTwitter、日本語メディアの記事などは、ほぼ見ていませんでした。この頃気付いたのは、以前の生活は、ソーシャルメディアにすごく時間を取られていたこと。もはや生活の一部となっている感も強いTwitterFacebookですが、意識しないとそれを中心に自分が動かされてしまう可能性もある。手持ち無沙汰になるとTLをのぞき、情報収集してるつもりになって、好奇心に任せて面白そうなリンクをクリックする。- 普通に考えてそんなことをしてる時間は無いなぁと。TLを追っている時の、日本語にまみれるような感覚も避けたかったですし。
こちらに来る前にお会いした原田さん @Kohei_41 がフィリピン留学を「精神と時の部屋」に例えていたけれど、そんな訳で、気持ち的にはまさにそんな感じでした。

授業は、マンツーマン2コマ+グループレッスン4コマで1日6コマの構成。グループレッスンではプレゼンの授業が必須だったので、1ヶ月も経つと人前で英語を話す度胸が十分つき、ネイティブ講師との会話も難なくスムースに出来るようになり(もちろん知らない単語も出てきたりするが)、ペーパーテストでいうと、毎週末受けていたTOEICの模擬試験では、期間後半あたりは900点以上コンスタントに取るようになっていた。しかしその時点でまったく自分の英語力に満足していた訳ではなく、それまで受けたことの無かったTOEICでしたが、ホントにアテにならないもんだなーと思ったり。

だんだんと、ただ英語を学ぶ側から英語を使う側に早くシフトしたいという思いが強くなっていった。語学学校の先生たちに相談すると、フィリピンの大学は全ての授業が英語で行われ、セメスターごとに受講可能、学費も2万円程度らしい。直接大学に足を運んで色々聞いてみると、どこもちょうど1ヶ月半ほどのサマーコースが始まる時期だったので、語学学校を出た後、一人暮らししながら通ってみることにした。学生の雰囲気を重視したかったので、週末を使って色々な大学をまわって学生と交流したり、色々な人から評判を聞いたりして、良さそうだったサンカルロス大学(University of San Carlos)というところにした。

 

4月初め〜5月末:現地大学生活・Startup Weekend Cebu

住まいは先生の妹が所有しているというアパートの部屋を紹介してもらってすんなり決まったのですが、大学の手続きがもの凄く大変でした。入学手続きにはかなりアナログな部分も多くて、実際に足を運んで列に並んで、色々な事務所をたらい回しにされて、みたいな事が多かったです。

大学の授業では、語学学校のように英語そのものを学ぶ授業もあるのですが、僕はフィリピン人だけの環境に入りたかったので登録した授業はマーケティングやコンピューターサイエンスなど専門的なものにしました。どの授業も日本人は僕だけで、みな興味を持ってくれ、とても楽しい毎日でした。ある授業では日本のカルチャーを紹介してほしいと、20分ものプレゼンをさせてもらったこともありました。日本の大学の大教室で行われるような授業は少なく、研究発表・ディスカッションが多めの、どちらかというとゼミのような授業が多い印象でした。英語でアカデミックな内容を学ぶ・議論する、さらには長時間プレゼンするというのは初めての経験でとても刺激的でした。しかし、日本と違って、フィリピンでは16歳から大学に入学するので、周りの生徒が精神的にちょっと幼いなと感じたこともあったり、授業期間の最初と最後の1週間は基本的に教授は講義をしないというフィリピンらしいことも色々ありました。教授やクラスメイトとの良い出会いもあり、セブで初のデジタルマーケティングセミナー等に誘ってもらったりと、大学に通ってなくては出来ないような経験が色々とできました。

大学生活外で大きな収穫となったのは間違いなく、
5月11-13日に開催されたStartup Weekend Cebuというイベントでした。

 

Startup Weekendは世界各地で行われているイベントで、ビジネス・プログラマー・デザイナーでそれぞれアイデアごとにチームを作り、54時間以内になにかしらのプロダクトを作って発表するという、アクションを伴ったビジネスコンテストのようなイベントです。

この1ヵ月くらい前にたまたまMeetup.comというサイトで開催を知り、もともと東南アジアのITスタートアップに関心の強かった僕は、迷わずRegisterボタンを押していました。シンガポールなどからも集まった多くのメンターのサポート、週末3日間の開催期間中の会場・飲食提供、しかも2回の事前イベントに無料で参加でき、参加費がたったの1000ペソ(約2000円)!現地のスタートアップコミュニティをはじめ、フィリピンのデジタル産業に関わる人たちの精力的な取り組みのお陰で、非常に充実したイベントでした。協賛の数も半端じゃなく、「これからの国」の勢いをひしひしと感じました。

本番プログラムの参加者は150人程度。学生も何人か。日本人は、僕の他に知り合いの方が参加予定でしたが、諸事情により初日でリタイアしてしまったので、結果的には僕一人。初日に僕はあるアイデアをピッチしたのですが、採択されず。しかしどうしても諦められなかったので、ふらついていたフィリピン人プログラマーとデザイナーを説得してなんとか自分のチームを作ることが出来ました。

最終日のピッチコンペではフィリピン・欧米の起業家・投資家が審査員として参加し、現地のメディア、一般観覧者を含めた250人の前でプレゼンなので、開発をフィリピン人たちに早々に任せて、僕はスライド作りやプレゼンの練習をひたすらしていた。仲の良い先輩 @ShoKoizumi に出国前にもらった白鳥ハットをツカミとして使ったのだけど、観衆はもちろん、自分自身をアイスブレークするのにも活躍した。結果的に賞は取れなくて悔しかったけれど、出会った人々、英語プレゼン、フィリピン人とのプロジェクト指揮など沢山の初めての経験とそれに伴う学びを考えるとチャレンジしてみてよかったと思う。後日審査員の一人の起業家の方が個人的にミーティングの機会をくださり、色々アドバイスを貰えたりもしました。

実は、初日に自分のアイデアを参加者全員に向けてピッチした時は支持があまり集まらなくて、正直自分のアイデアを捨てて他のチームに入ってしまおうか、とか思ったり、自分でメンバーを集めてチームを作って動き始めたときも初めてのことだらけで不安に思うことが多く、自分の弱い部分がはみ出そうになる時もあったが、とにかく全部思い切りやる、と決めていたので、全部思い切り、やった。やってみて再確認したけれど、やっぱりこういう度胸が試されるようなことは、やって後悔することは無い。そして回数こなすごとに人間としてのキャパシティが鍛えられていくような気がする。初めてのことを怖じ気づいたり、ちょっと恥ずかしがってしないというのはすごい損失だってこと。初めてのことだからこそ試行錯誤しながら学ぶことはとても多い。前にこんなツイートをしたのだけど、これはSWCでの経験から出てきた考え。イベント中怖じ気づいてたら何事も出来なかったであろうように、人生でも失敗するのを怖がってたら一生やりたいことの準備で終わっちゃうな、と。本気で挑戦すれば、最低でも最高級の経験と学びがついてくる。失敗したとしても絶対にゼロにはならない。そんなようなことを強く認識させてくれた3日間だった。

時系列が前後するが、Startup Weekendの事前イベントの帰りに、スカイプ英会話レアジョブのCEO加藤さんらしき人を見かけて、声を掛けみたらなんとご本人で、たまたまその翌日に開催予定だったレアジョブの講師ギャザリングに誘っていただいた。このギャザリングでは、フィリピン人と恊働して日比両国に貢献し、周りの社員に慕われ幸せそうな加藤さんの姿にすごく刺激を受けた。加藤さんとの出会いもStartup Weekendに参加していなかったらあり得なかったこと。色んな縁と学びをくれた、僕にとっては本当に素晴らしいイベントでした。

 

5月末〜

イベント後、企画を単発で終わらせたくないと思っていた僕は、Startup Weekendでのアイデアに関連したプロジェクトを、レアジョブの講師ギャザリングで知り合った(ここも繋がる)フィリピン大学の学生エンジニアたちとともに進めようとしていた。

そんな折、Startup Weekendで知り合っていたZaheedというインド系スウェーデン人と、再会する。そこで僕がやろうとしているアイデアを話すと、彼はすごく気に入って、一緒にやらせてくれないかと言ってくれた。それまでは、やたらwebサービスに詳しいおっちゃん、くらいの印象しか無かったのだが、よくよく話を聞くと、いわゆるドットコムバブルといわれるような時期に、スウェーデンとイギリスで起業して$40Mほど調達し、最盛期はヨーロッパ数カ国に散らばる何百人もの組織を引っ張っり、最終的には売却まで持っていった、スゴい人だった。見た目はピッコロみたいなんですけど、ホントに。

むしろこちらが勉強させて欲しいくらいの気持ちで、一緒にプロジェクトに取り組むことを快諾して、すぐに翌日からブートストラップの毎日が始まった。彼は徹底的なリーン志向で僕を導いてくれた。つまり、無料あるいは低コストで使えるフレームワークやツール(またそういったものに関する彼の知識が半端ない)を最大限利用して、初期に必要な作業とコストをとことん最小化、シンプルに機能するものをなるべく短期間で創り、マーケットでテストしつつどんどん改良していこう、そしてデータが取れたらファイナンスプランを作って…といった感じだ。一度投資家との付き合い方で大きなミスをしたらしく、それが売却時にあまり利益を得られなかった原因でもあるようで、そこから得た学びを特に口を酸っぱくして教えてくれた。彼は僕より20歳くらい年上にも関わらず、経験も知識も乏しい僕に嫌な顔一つ見せず、いつも色々な知識を与えてくれ(そしてそれは今も続いている)、新しいことを始めるのを常に楽しんでいるオーラを放っていた。

お互い慣れない、フィリピン人とのプロジェクト進行はトラブルも多く(実は二回ほどデベロッパーが失踪した笑)、彼がもともと進めていたサービスも僕がもともと持っていた軸と近いもので一緒に取り組むことになり、そちらはようやく形になったところだ。

振り返ると、

とにかくやって(飛び込んで)みる→出来ないことがたくさん見つかる→学ぶ

の繰り返しだった、と思う。現状維持をやめて動き始めると、自分の周りを取り囲む環境も少しずつ良い意味で”歪み”はじめて、色んな人との出会いだったり、いい機会に恵まれる人間だと、自分のことを認識し始めた。

どうやら僕は、とにかくやってやって、自分の足りない部分を絶望的に自覚し、その悔しさと改善する必要性に駆られて、努力し、やっと成長していく、といったタイプの人間みたいだ。何かやる前にあれもこれもなるべく準備して、失敗する可能性を少しでも減らして、みたいなやり方ではうまく成長出来ない。というか本気になれない。決定的な必要性に駆られていないからだ。

20歳を過ぎてから、1日の短さ、自分の生きていられる時間の短さを、強烈に、日々実感している。

人間誰でも失敗は怖い。しかし、「やりたいことの準備」だと自分に言い聞かせて、腹を決めて飛び込む瞬間を作らないと、短い人生、その準備だけであっという間に終わる。

それだけは間違いなさそうだ。